とうとう3月になりました。アメリカ生活もあと少し、仕事も今月末で終わり。日も長くなってきて、少し暖かい日も増えました。昼間、晴れて明るい日が増えて、気分も明るくなります。
仕事は引継ぎ資料の作成や引継ぎのMTGをする時間が増えました。ずーっとしんどいなぁと思っていた仕事ですが、もう終わるとなると名残惜しいような。仕事内容はしんどかったですが、周りの人たちはみさん親切で助けられました。オフィスにも行くことはないかと思っていましたが、最後に数回行くこともでき、良い思い出になりました。
仕事はただただ忙しい・しんどい気分でやってきて、ようやく1年1か月過ぎたという感じなのですが、内容を振り返ってみようと思います。
私の仕事は、システム移行のプロジェクトマネジメント(プロジェクトマネジメントオフィスの一員)です。プロジェクトマネジメントはほぼ経験がなかったので良く雇ってもらえたな、というところから始まったのですが、やはり、やったことがないことをやるというのは大変でした。初めての会社で、アメリカで、やったことのない仕事を、英語と日本語でやる、ということで、最初のうちは何もうまくいかず落ち込むことが多かったです。一番困難だったのは英語、次がプロジェクトマネジメントの部分かなと思います。日本に本社がある会社のアメリカブランチでの仕事なので、本社がやりたいことや、日本人が考えるやりたいことを現地のエンジニアやユーザに伝えるという作業があるのですが、そういうのは伝言ゲームの要素が強いので、英語がうまく話せるとずいぶん楽だったろうなと思います。技術力はほぼ必要なくて、英語力が高い方がよほど役に立つ部分です。プロジェクトマネジメントについては、自分がやっていたのが本当にプロジェクトマネジメントなのかも怪しいですが、何をするのが正解なのかがよく分からず苦労しました。自分が開発をするわけでもなく、リソースをアサインする権限を持っているわけでもないので、円滑にプロジェクトが進むように雑用をこなすようなイメージです。大きなプロジェクトなので、関係者がものすごくたくさんいて、協業して進めないといけないので、他の利害関係者とコミュニケーションをとりながら、歩調を合わせて進められるように調整する、というのが仕事です。今思うと調整するのが仕事だったのかもしれないです。英語や、プロジェクトマネジメントは、私にとってはチャレンジで、大変ではありましたが、できるようになったことも多いかなと思います。人とコミュニケーションをとることに慣れたと思います。会議のファシリテートを行う機会がかなりあったので、英語でMTGを設定して進行することに慣れました。たまに本当に何を話しているのか分からなくて辛いですが、だからやりたくないとかいう感覚は薄れました。また、電話することもあまり躊躇なくできるようになりました。メール、チャット、電話、会議を必要に応じて使い分けられるようになりました。メールして、返信がよく分からない場合はチャットして、チャットで説明するのが難しい時は電話して、関係者が複数いるときは会議をセットする、というのが、英語であまり躊躇なくできるようになりました。ものごとを進めるために効率がよいものを選択して実行できるようになりました。しかし、英語が上達したからできるようになったわけではなく、業務内容と進め方が分かってきたというのと、人間関係ができてきたためにできるようになってきた、という感じです。なので、初対面のお客さん相手に同様のことをやれと言われても難しいと思います。一方、想像していたよりも英語の上達はいまいちだったと思います。今も、リスニングでも結構難しいと感じるときも多いし、スピーキングもほぼ気持ちだけでやっています。上手に話すことはあきらめて、伝わることを優先に、重要なことを何回も言うとか、そういうのを重視しています。英語については、英語の勉強をしないと上達しないという結論に達しています。子供ではないし、若くもないので、、、自然に学校へ行けば上達するとか、そういうものではないです。覚えようとしないとボキャブラリは増えないし、言い回しも身につかないです。発音も、意識して上達しようと思わないと上達しないです。私の環境は、特に仕事の環境は純粋な英語環境ではなく、日本人もいるし日本語も使うからというのもあるかもしれませんが。それにしても、思ったより上達していない気がします。去年学生で毎日英語のレッスンを受けていた時の方が英語がスムーズに話せたような気がします。
仕事の内容以外で仕事について思うことは、アメリカでも日本人は日本企業に依存した仕事が主になるということです。アメリカでは、なのかもしれないですが、働くには就労ビザが必要で、ビザを取得するためにはビザのスポンサーになってくれる企業が必要です。お金を払ってビザのスポンサーになってくれるのは日本語を必要としている企業であり、主には日本の企業です。個人事業主のビザや、特殊な職業のビザを取得するというのであれば他にも方法はあると思うのですが、一般的なサラリーマンのような仕事をするのであれば、日本企業に依存することになります。英語のうまい下手よりも、ビザのステータスが重要と思います。グリーンカードを持っているとかであれば、逆に英語ができなくても選択肢は増えると思います。Drを持っているとかそういう特殊技能があればグリーンカードを比較的簡単にとれたりするので、そういうのも有効かもしれないです。プラス、コネや人脈も重要と思います。アメリカは移民が多いですが、同じ国出身の人とか、知り合いを通じて仕事を見つけたというのをよく聞きます。何のつてもなくローカル採用で働くのはいろいろしんどいので、次アメリカで働くとしたら駐在がいいです!駐在で戻ってきたい!!駐在でマンハッタンに住みたい!!!(マンハッタンに住みたいなぁ(しみじみ))
と、いうわけで、英語上達と英語で仕事の実績を作るためにアメリカへやってきたわけなのですが、上達という部分については満足とはいい難い状況です。仕事の実績を作るという部分では一定の成果と言えるかと思います(まがりなりにも実績はできました)。英語は今後もあまり上達しない気もしますが、生涯学習的に続けるしかないかなぁという感じです。
日本へ帰る準備も始まって、あまりアメリカを満喫する感じもなくなってきました。必要ない銀行口座をCloseしたり、こちらのタックスリターンの書類を作ったり、携帯電話やもろもろの契約を止めるやり方を調べたり、帰国時のPCR検査の予約をしたり。手続きはどれもこれもだいたい思い通りに進まないのでイライラします(絶対に想定通り(インストラクションに書かれた通り)にいかないだろうということはもう想像つくのですが慣れないです)。雑用が多かったのですが、そんな中でも楽しいことが少しはありました。
バカラホテルでのアフタヌーンティーです。
アフタヌーンティーに来たのは自分のお祝いのためで、日本での仕事が決まった直後に来ました。1月ごろから日本での仕事を探し始めて、とてもストレスフルな毎日でしたが、なんとか次の仕事を見つけることができたので、一人でお祝いすることにしました。素敵な内装に、おいしいフードで満喫しました。
アメリカに来て2年3ヵ月、こちらに来るときはコロナなんてもちろん想像しておらず、思い描いていたのとは違う留学・仕事生活となりましたが、コロナに感染することもなく元気に終えられたことは本当に良かったと思います。また、学校でも、職場でも、それ以外でも、いろいろな人に出会えて学んだことも多かったし、助けてもらったことも多かったです。職場で最終日に同僚からメールや電話をもらったときは、名残惜しかったです。さみしい気持ちが大きいです。帰国がせまると、周りの人から「日本へ帰るのは楽しみか」と聞かれることがありましたが「楽しみな気持ちとそうでない気持ちと半々」と答えていました。私はアメリカが好きです。特にNYが好きです。また戻ってきたいです。
これまで2年3ヵ月、このブログも今回で最終回です。これまでシリコンバレー通信を読んでくださりありがとうございました。先日帰国して日本にいます。来月から新しい仕事が始まります。また日本でどうぞよろしくお願いします。